紙屋研究所「ナンシー関『記憶スケッチアカデミー』」
お笑い関係のブロガーである芽むしり氏が、自身のtwitter(@memushiri)で武田砂鉄氏を批判していた。何でも武田氏が書いた、いとうせいこう氏の著書『今夜、笑いの数を数えましょう』(講談社)の書評が気に入らなかったらしい。
芽むしり氏はどうにも腹の収まりがつかなかったらしく、こんなツイートもしていた。
「俺はナンシー関に一切影響受けていないから良いけど、ほんとうにナンシー関が好きだった人は、武田砂鉄みたいなつまんない、笑いを政治利用する人がナンシー関利権を独り占めしていることにもっとキレたほうがいいと思うよ」
穏やかじゃないねえ。ナンシー関の生前のコラムを『ナンシー関の耳大全』にまとめた経歴を持つ武田氏に対し、彼女をリスペクトする者…私もその1人だが…はみな彼を攻撃しろとのたまっているわけだ。「共産党支持者こそ、選挙スタッフが駐車違反をした共産党杉並区議を批判しろ!」みたいなことを言う連中を想起させる。
この件については別の拙ブログ「ENGEI-COMIC SHAMROCK」で『今夜、笑いのー』の書評を書くことで応えるつもりだが、ふと気になったのが、私の尊敬する紙屋高雪氏が「紙屋研究所」でナンシー関を取り上げたことあったっけ…て話だった。調べてみると、生前の彼女の著書『記憶スケッチアカデミー』(文春文庫)の短評しかない。200字に足らない分量である。
『記憶―』はナンシーの著書の中でも変化球の部類であろう。彼女と言えばテレビ番組のコラムだが、同書はお題にそったものを記憶に頼って素人さん(?)に描かせ、その作品をあれこれ評する内容だ。
確か最初はハードカバー版でカラー印刷だったので、人々の「記憶スケッチ」がひときわ生々しかったのを覚えている。この「記憶に頼ってあるものを描く」てのは、後年に西原理恵子が同様のコンセプトの単行本を出しているな。
ここまで読まれた賢明な方は薄々勘づいているかもだが、私が言いたいのは「ナンシー関亡き後、その後釜に座るべきは紙屋高雪氏ではないか」である。つってもナンシーが亡くなってもう17年ではあるが。
紙屋氏はナンシーの影響こそほとんど受けていないと見受けられる。しかし、コミュニストならではの徹底した客観性に裏打ちされた文章は、彼女の生前に残した業績を受け継ぎ、発展するに足る力量があろう。
「つまらない、笑いを政治利用する(※)」武田氏がナンシーの利権を独り占めしていると主張する芽むしり氏は、紙屋氏の才能にこそ刮目(かつもく)すべきだと思う。俺は武田氏の文章をそれなりに楽しく読ませてもらっているけどね。
(※)twitterでも書いたが、この「つまらない」「笑いを政治利用する」て、まんま吉本新喜劇に出演した安倍晋三首相のことだわな。あのダダ滑った失態をネタにできないお笑いブロガーは、わりとガチでお笑い評論を書くの失格だと思う。
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