ある意味「空気が読めない」ことこそ日本共産党の幹部に必要と思う
日刊ゲンダイの記事で籠池泰典氏と共産党元衆院議員・宮本岳志氏の「握手」が大々的に報じられていた。記事のリンクはこちら。書き手は大阪日日新聞記者で元NHKの相澤冬樹氏。
もとを正せば、籠池氏は拙ブログのタイトルの元ネタである塚本幼稚園を運営し、著しい差別主義に基づいた教育を実践していた人物である。森友問題を追及する過程でヒアリングなり国会の証人喚問なりで接点があったとはいえ、衆人環視の中で共産党の(元)議員・幹部である人物が彼と握手をすべきだったかどうか。個人的な考えは私のtwitter(@masatowishiguro)で述べているので参考に。
今回の件でふと思い出すのは、北朝鮮の地で自主独立の原則的な態度を貫いた共産党の緒方靖夫参院議員(当時)、穀田恵二衆院議員である。2004年の「しんぶん赤旗」に掲載した不破哲三議長(当時)と緒方氏の対談で、当時を振り返っている。
1999年、当時膠着(こうちゃく)していた北朝鮮の拉致問題を打開すべく、日本政府は超党派の議員代表団を派遣した。共産党からは緒方、穀田の両議員が参加したが、この手の超党派の代表団で共産党から参加したのはこれが初めてだったそうである。
緒方氏は、穀田氏との現地での行動をどう取ったか、不破氏とのやりとりで再現している。以下はその抜粋。
●北朝鮮で自主独立の態度をつらぬく
――北朝鮮に行ってからの状況は、どんなものだったんですか。
緒方 私たちは、行って初めて知ったのですが、向こうへ着くと話し合いの前に、“お参り”とでもいう行事があるのです。金日成前主席の銅像、チュチェ(主体)の塔、金日成廟(びょう)、そのあと生家、この四カ所を拝礼・献花をして回る。ほかの団員はみんな慣れているのですが、こちらは初めてですから。どうするか、穀田さんと相談して、“団の統一をまもる立場で参加はするが、攻撃の対象とされてきたわれわれが、問題が解決されないまま、攻撃をしてきた当の相手に拝礼・献花をするわけにはゆかない。参加するだけにしよう”という打ち合わせをしたんです。実際、その通りやったのです。
金日成氏の遺体をおいた廟のところでは、遺体のまわりを歩きながら、四回頭を下げる、その場所も決まっているんです。そして、四カ所とも、記帳の場所があって、賛辞のような言葉を書く。それにも私たちは加わらない。
――ずいぶん目立ったでしょう。
緒方 それは、目立ちましたね。どこでも、みな深々と頭を下げるなかで、私たちだけが立っているわけですから。この行事には、北朝鮮側の代表団長の金容淳(キムヨンスン)書記もずっと同行して、状況をよく見ていました。
不破 二人で相談して、よくやりましたね。帰ってから報告を聞いて、感心しました。そんな“習慣”があることなど知らないから、東京では、なんの相談もしませんでしたからね。そのあとが、会議だったのでしょう。
緒方 その会議で、日本共産党を代表して、穀田さんが、今後の日朝交渉についての私たちの立場を発言したのです。そうしたら、金容淳書記が、すぐ「よい発言をしてもらいました」と、それを評価したのです。
“お参り”のときの私たちの行動は、私たちとしては道理をとおしての行動なんですが、北朝鮮の側から見たら、あれだけの“無礼”をしたわけでしょう。そのことを見ながら、会談では、そういう発言をしたのを見て、若干でも“話がわかる”可能性があるのかな、という印象を持ちました。
どうだい。共産党の緒方、穀田両氏のやったことって、スゴいと思わない? ←スピードワゴン小沢?
超党派の代表団にまざっておいて、他の参加者が行う拝礼も献花もしない。現場では相当浮いた感じになったろうよ。後で他党の代表団参加者から「何しとくれてんねんオマエは!」とド詰めされたかもしれない。
しかし俺はそここそが共産党の長所だと思うんだよ。他人から批判されても「空気の読めねえ連中だな」と冷ややかに見られても、おのれの党が掲げた正義を貫く。そういう共産党の態度こそが少しずつ、97年という時間をかけて国民の信頼を勝ち得てきたと思うのよね。
そういう意味では、衆人環視のもとでの「流れ」とはいえ、宮本氏が差別主義者の籠池と握手し、その一部始終を写真付きの記事で大々的に報じられてしまった。このことは、共産党の原則的な態度とはとても取られないと思う。
既に多くの批判がSNSで共産党に寄せられているが、党の機関できちんと批判を受けて今回の問題を議論し、宮本氏への処分を含めて総括してほしい。今回の件がもとで市民と野党の共闘に逆流が起こるなんてのは、あってはならないことだしね。
もとを正せば、籠池氏は拙ブログのタイトルの元ネタである塚本幼稚園を運営し、著しい差別主義に基づいた教育を実践していた人物である。森友問題を追及する過程でヒアリングなり国会の証人喚問なりで接点があったとはいえ、衆人環視の中で共産党の(元)議員・幹部である人物が彼と握手をすべきだったかどうか。個人的な考えは私のtwitter(@masatowishiguro)で述べているので参考に。
今回の件でふと思い出すのは、北朝鮮の地で自主独立の原則的な態度を貫いた共産党の緒方靖夫参院議員(当時)、穀田恵二衆院議員である。2004年の「しんぶん赤旗」に掲載した不破哲三議長(当時)と緒方氏の対談で、当時を振り返っている。
1999年、当時膠着(こうちゃく)していた北朝鮮の拉致問題を打開すべく、日本政府は超党派の議員代表団を派遣した。共産党からは緒方、穀田の両議員が参加したが、この手の超党派の代表団で共産党から参加したのはこれが初めてだったそうである。
緒方氏は、穀田氏との現地での行動をどう取ったか、不破氏とのやりとりで再現している。以下はその抜粋。
●北朝鮮で自主独立の態度をつらぬく
――北朝鮮に行ってからの状況は、どんなものだったんですか。
緒方 私たちは、行って初めて知ったのですが、向こうへ着くと話し合いの前に、“お参り”とでもいう行事があるのです。金日成前主席の銅像、チュチェ(主体)の塔、金日成廟(びょう)、そのあと生家、この四カ所を拝礼・献花をして回る。ほかの団員はみんな慣れているのですが、こちらは初めてですから。どうするか、穀田さんと相談して、“団の統一をまもる立場で参加はするが、攻撃の対象とされてきたわれわれが、問題が解決されないまま、攻撃をしてきた当の相手に拝礼・献花をするわけにはゆかない。参加するだけにしよう”という打ち合わせをしたんです。実際、その通りやったのです。
金日成氏の遺体をおいた廟のところでは、遺体のまわりを歩きながら、四回頭を下げる、その場所も決まっているんです。そして、四カ所とも、記帳の場所があって、賛辞のような言葉を書く。それにも私たちは加わらない。
――ずいぶん目立ったでしょう。
緒方 それは、目立ちましたね。どこでも、みな深々と頭を下げるなかで、私たちだけが立っているわけですから。この行事には、北朝鮮側の代表団長の金容淳(キムヨンスン)書記もずっと同行して、状況をよく見ていました。
不破 二人で相談して、よくやりましたね。帰ってから報告を聞いて、感心しました。そんな“習慣”があることなど知らないから、東京では、なんの相談もしませんでしたからね。そのあとが、会議だったのでしょう。
緒方 その会議で、日本共産党を代表して、穀田さんが、今後の日朝交渉についての私たちの立場を発言したのです。そうしたら、金容淳書記が、すぐ「よい発言をしてもらいました」と、それを評価したのです。
“お参り”のときの私たちの行動は、私たちとしては道理をとおしての行動なんですが、北朝鮮の側から見たら、あれだけの“無礼”をしたわけでしょう。そのことを見ながら、会談では、そういう発言をしたのを見て、若干でも“話がわかる”可能性があるのかな、という印象を持ちました。
どうだい。共産党の緒方、穀田両氏のやったことって、スゴいと思わない? ←スピードワゴン小沢?
超党派の代表団にまざっておいて、他の参加者が行う拝礼も献花もしない。現場では相当浮いた感じになったろうよ。後で他党の代表団参加者から「何しとくれてんねんオマエは!」とド詰めされたかもしれない。
しかし俺はそここそが共産党の長所だと思うんだよ。他人から批判されても「空気の読めねえ連中だな」と冷ややかに見られても、おのれの党が掲げた正義を貫く。そういう共産党の態度こそが少しずつ、97年という時間をかけて国民の信頼を勝ち得てきたと思うのよね。
そういう意味では、衆人環視のもとでの「流れ」とはいえ、宮本氏が差別主義者の籠池と握手し、その一部始終を写真付きの記事で大々的に報じられてしまった。このことは、共産党の原則的な態度とはとても取られないと思う。
既に多くの批判がSNSで共産党に寄せられているが、党の機関できちんと批判を受けて今回の問題を議論し、宮本氏への処分を含めて総括してほしい。今回の件がもとで市民と野党の共闘に逆流が起こるなんてのは、あってはならないことだしね。
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